窓を開けると、木漏れ日が差し込む静かな午後のひととき。
今日は在宅勤務なので、いつものように公園近くの自宅で仕事をしています。
この公園は、近所の幼稚園の散歩コースになっているらしく、時折、園児たちの元気な声が聞こえてきます。
小さな子どもたちが、お散歩カートに乗せられて楽しそうに通り過ぎていく姿は、何とも微笑ましいものです。
先日、そんな日常に、少し変わった光景が広がりました。
カートに乗った子どもたちが、一斉に
ドナ・ドナ・ドナ・ドーナ 子牛を載せて ドナ・ドナ・ドナ・ドーナ 荷馬車が揺れる
と、民謡の「ドナドナ」を合唱し始めたのです。
不意に耳にしたその歌声に、思わず仕事を中断して窓の外に目をやると、子どもたちが楽しそうに歌いながらこちらに向かっています。しかし、すぐに幼稚園の先生が「それはやめなさい」と注意していました。
すると、今度は一斉に
はい喜んで あなた方のため はい謹んで あなた方のために
と別の歌を歌い始めたのです。
大人の耳には「ドナドナ」は、屠畜場に送られる家畜の哀しみを歌ったユダヤ民謡、もっと言えば、絶滅収容所に送られたユダヤ人の哀しみを歌ったもの。「はい喜んで」は滅私奉公を強いられる社会人の哀しみ歌ったものとして聞こえます。
しかし、子供たちは、単に音が楽しいから合唱しているのに違いありません。とくに、先生の「それはやめなさい」からの「はい喜んで」の切り替えしには、ラップや俳諧連歌の切り替えしを連想して感心してしまいました。そう考えると、今は自由に音楽を楽しませてやって、その昏い面については後で分かったときに分かればよいのではないかと思いました。