武蔵野。その名は、今でこそ東京の郊外を指す言葉として親しまれているが、江戸時代、いや、それ以前から、この地は独特の風情を湛えていた。関東平野の西端に位置し、多摩丘陵の緩やかな起伏が連なるその地は、四季折々の表情を見せる。春には桜が咲き乱れ、秋には紅葉が山々を染める。しかし、この武蔵野を最も厳しく彩るのは、冬の寒さであった。

特に、元禄の頃。世界は、いわゆる「マウンダー小氷期」と呼ばれる寒冷期を迎えていた。太陽活動の低下は、地球全体の気温を低下させ、日本においてもその影響は顕著であった。江戸の冬は、現代の北海道にも匹敵するほどの厳寒であったという。墨田川が凍結し、物流が滞るなど、人々の生活は大きく制限された。

武蔵野も例外ではなかった。冬になると、平野部は一面の銀世界と化し、人々はこたつにくるまり、暖炉の火を頼りに寒さをしのいだ。そして、そんな厳しい冬の夜には、人々の間で様々な噂話が囁かれた。

その一つが、雪女の話である。武蔵野の雪深い山中で、美しい女の姿をした妖怪が現れるという。その女は、凍えるような冷気を身に纏い、迷い込んだ旅人を誘い込むという。そして、その美しい姿に魅せられた男は、つい女に近づき、体中の熱を奪われてしまうのだという。

この雪女の話は、単なる怪談話としてだけではなく、厳しい自然の中で生きる人々の恐怖と畏敬の念が投影されたものとも考えられる。雪は、人々に生命をもたらす恵みであると同時に、命を奪う恐ろしい存在でもある。雪女は、そんな雪の二面性を象徴する存在として、人々の心に深く根付いていったのである。

さて、この雪女の話は、武蔵国の中でも特に、調布の地に深く根付いていたという。調布は、古くから交通の要衝として栄え、様々な人々が行き交う場所であった。そんな調布において、雪女の話は、旅人を恐怖に陥れるだけでなく、人々の心を温める役割も果たしていた。

そんな調布の宿のはずれに、茂作という老人の木こりが、巳之吉という少年と一緒に住んでいた。二人は毎日調布の宿に薪を売りに行き生計を立てていた。そんなある冬の日・・・